この時の緊張は過去一でした。それは、偉い人や家族が見に来ているだとか将来がかかっているだとかそんなプレッシャーがあるわけでもなく、ただ単に病気が原因でした。パニック寸前で、気分も悪いし、本当の本当に直前まで逃げ出してしまおうかと思っていたくらいです。
この年の合唱祭の記憶があまりないのも、それが原因なのかもしれません。ほかの年の合唱祭は、なんとなくどんな練習をしたとか、どんなところが難しかったとか、覚えているのに。
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この頃の私は、日記によれば…母による「県立大学へ行け」の圧と、大学の費用の問題に苦しんでいたようです。ぶっちゃけ、うちは貧乏でした。
私が学びたい学科もその県立大にはなく、母が私にさせたいことも特にないのに、ただただ県立大を勧められていたのは、学費の問題のほかには、やはり母の見栄だったのでしょう。
実はこの時通っていた高校も、私の中学の時の成績からしたら入れるかどうかギリギリのレベルの高校でした。私が入りたかったというよりは、母が強く「この高校に入れ」と言っていたから入ることを決めたのでした。
「この高校に落ちて私立高校などに入られたら、学費なんか払えない。絶対に受かれ」と言われて必死に勉強した中学3年生時代を思い出します。だったら、落ちないようにもう1ランク下の公立高校を受けさせてくれればいいのに、と何度思ったことか。この時も、別に母は、この高校に受からせて何をさせるという目的もなく、ただただ「いい高校に入らせたい」という漠然とした気持ちで私に発破をかけていたように思います。
ただ、なんとなくの「エリートであれ」。この教えはいまだに私を苦しめています。
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