高校2年生時代⑨-心、ちぎれる

この日の日記に、診察の内容が詳しく書かれていないのは、それどころの気分ではなかったからだと思います。おそらく家族構成だとか、現在の悩みや症状などを聞かれたのだとは思うのですが。

病名を早く知りたかったのは、それが分かれば今後どう治療していけばいいかきっとわかるから、というのもあったのですが、

「お医者さんにそういわれたのだから『病気』として両親にわかってもらえるはずだ」

という気持ちもあったのでしょう。

病気だから特別に甘やかしてほしいとか、そういうことじゃなくて、ただ「理解のない言葉を投げつけるのはやめてほしい」という気持ちでした。そしてできれば、治療頑張っていこうね、という言葉が欲しかったのです。

この日確実に私の何かが壊れました。それを、「耳がちぎれる」という絵で表現しています。

翌朝、父が少し気まずそうに「昨日言ったこと、気にしているか」と聞いてきたことは覚えています。父としても言い過ぎたとは感じたのかもしれません。

私は、ただそっけなく、会話もしたくないという雰囲気を前面に出しつつ「べつに」とだけ答えたことも覚えています。それで会話は終わりました。

あとから回収できない言葉っていうのは、あるんです。一時カッとなって言ってしまった言葉を、撤回したくても。

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